7巻まで。
1巻冒頭のプロローグ部は、主人公を含めレギュラーである隣人部のメンバー7人全員が揃って登場するエピソードだが、うち2名がなんと本編に登場しない。2巻で初めて登場エピソードが書かれる。
最初からシリーズのメインキャラクターは出揃っていて、しかも1巻で一区切りというようなこともなく、新キャラの登場回の他は独立した日常エピソードが時系列で並んでいるだけ、という、なんというか非常に割り切った構成。あとがきには「趣味的な作品」とあるので、なるほどある意味で楽に書いたのかなと思っていた。
普段は「この作品にどのようなテーマやメッセージを込めるべきか」といったわりとめんどくさいことを考えながら小説を書き、必要があれば心情的にはあまりやりたくない展開や人物を書いたり、逆に書きたいことであってもテーマにそぐわなければ書かなかったりするのですが、今回は本当に純粋に楽しく読めるものを書かせていただきました。
メインテーマである「友達がいない」という点がメインキャラクター全員に共通する性格設定の軸になっているのは巧いが、逆にそこ以外は非常に類型的なキャラといえる。
以上より、1巻を読んだ時点ではかなり企画先行というか計算して書いているなーという印象が強く、正直なところ少し興醒めだった。
ところが、巻が進むにつれ当初の計算以上のモチーフが膨らんで、作者も楽に書いてばかりはいられなくなってきているのではないか? と思われる展開になってきていて、そこが面白い。
(ここから軽いネタバレ)
3巻のラストでメインヒロインの夜空が髪を切り、彼女が10年前に主人公・小鷹の親友だったことが明らかになる。これは最初から張られていたみえみえの伏線。4巻から7巻にかけては長いスパンで、もう一人のヒロイン星奈が、親同士の決めた許嫁だったことが判明。学園の理事長である星奈の父と主人公の父が旧友であることは最初から明かされていて、親同士の縁が本人達にも及んでいることがだんだん明らかになってくる、この展開を後ろのほうにもってきたのは巧いと思う。とはいえ、これも予定の範囲内だろう。
問題は残りの二人である。――というのは幼女二人(マリア、小鳩)を除いての話だが、正直、幼女は幼女という類型から抜け出すのが容易ではなく、テコ入れのしようがないということではないか。小説でロリを扱う困難が浮き彫りになった形。その意味で『ロウきゅーぶ!』は見事といわざるをえまい。閑話休題。
(ここからは致命的なネタバレ! 5巻以降の。)
5巻では残り2人のうち、楠幸村がなんと「実は女の子だった」ことが判明する。
幸村は「美少女にしか見えない男子」として登場し、以後常にメイド服を着るという、昨今流行りの「男の娘」枠のヒロイン(?)だった。小鷹の「不良っぽい男らしさ」(それも誤解なのだが)に憧れる後輩、にも関わらず女子にしか見えない、という立ち位置は捻りが効いてるし、隣人部のメンバー構成上も設定上は男子が二人いるのがバランスがいいと思う。「設定上だけ男だが描写と演出は完全にヒロイン」が小説なら可能だし、小鷹の視点からは女子にしか見えない、だが男だ、というのが「男の娘」の醍醐味だと思うのだが、なぜそれをひっくり返して実は女子だったことにするのか、ここで初めて作者の意図が読めなくなって首を捻った。
おそらく、キャラとしては地味なリアクション芸しかない幸村はこの時点でテコ入れを一番必要としていると判断されたのかもしれないし、視点人物である小鷹にも一定の反応しかさせられない以上、ラブコメ展開に本格参戦させるにはハッキリ女子であることにするしかないという英断かもしれない。これも最初からの予定通りなのか、でなければどの時点で決定されたのかには興味がある。
そして最後の一人、志熊理科。
彼女は授業出席を全面的に免除された天才発明少女で、白衣のメガネっ娘、という、一番コテコテの記号で構成されたキャラである。さらに腐女子でもあり、興奮するととんでもない下品な語彙で罵詈雑言を繰り出すというムチャなキャラ立ちで、ほとんど半分ヨゴレ役と化していた、ように見えた。
ところがこの、フィクションとしての作品世界に最も回収されやすい記号で構成されていたはずの理科というキャラが、逆に作品のコンセプトを脅かすようなキャラに化けてくる。ここが『はがない』シリーズ展開の最大の面白さであり、おそらく作者の思惑をも超えて暴走しつつある部分ではないか。
成績優秀というだけの星奈と違って、全てを見透かすような頭脳のキレがある天才少女・理科は、だんだん隣人部を俯瞰するような視点からの発言が目立つようになってくる。
「……ふーむ……しかしこの鈍さは本当に素なんですかねえ……それとも……あえて望んでそうなったのでしょうかね……?」
(太字部は傍点。以下同様)
ラブコメを成り立たせている「小鷹の鈍感さ」を揶揄するようなセリフは、他のキャラからは決して出てこないものだ。作品そのものを描写する叙述の視点である小鷹に対抗するかのような、あるいはさらに上位に位置するかのような「外部の視点」からの発言が理科には増えてくるのである。
一方で、ラブコメ展開の中での理科は、小鷹の気を引くために髪型を次々に変え、髪の色も染め、時にはメガネを外し、小鷹に「変だ」と言われると白衣まで脱いでしまう。展開上はあくまで小鷹の気を引くための行動ではあるが、理科が外見上の記号性を剥奪されて行くほどに、作品世界に対する批判的な視点を獲得して行くように見える、両者の過程のシンクロは暗示的であると指摘しておきたい。なんてね。
その結果として、7巻で理科は作品世界を覆しかねない発言に及ぶ。
「だって理科たちは、もう友達じゃないですか」
友達作りを目的として設立された隣人部の活動は、「友達を作るための訓練」「友達が出来た時のための練習」という名目で部員たちが遊んでいるというものだ。こいつらもう友達じゃん、というツッコミは最初の時点から当然想定できるが、その点に触れずに進行するのがこの物語のいわば前提条件だった。あるいは最後のオチとして「とっくに友達になっていた」というような完結のさせ方はあろう、という。
ところが、理科が作中でその事実を指摘することによって、ただの作品のお約束だったはずのことが作品内に批判として持ち込まれ、「現実に気づかないフリをしていた小鷹」を浮き彫りにしてしまう。
「やめろ!」
俺は思わず声を荒げていた。
その先を言わせては絶対にいけない。
それを言葉にしてしまったら、俺は、俺たちはもう……進むしかなくなる。
進むというのは、変化するということだ。
それは、とても怖いことなんだ。
小鷹はこの時点では理科の言葉が「聞こえないふり」をすることで態度を保留する。が、シリーズが大きな転機を迎えたことは間違いない。
6巻から7巻における理科は、一登場人物でありながら自己言及的に作品に対する批判的視点を持ち込む、いわば圧倒的な他者として時にゾッとするような迫力を見せる。ある意味で全く別格の存在になったわけではあるが、ただ、それはヒロインとしては逆に二重の意味で損な役回りだなあ、とも思った。
こういう(批評的視点を持ち込む)展開は、小説として非常に健全であるといえるけれども、最初に引用した1巻のあとがきから受ける印象からすると、その時点で予定されていたのかどうかは疑問だ。少なくとも志熊理科というキャラの暴走気味な迫力には、作者の計算をも超えた部分があったのではないかと思う。
手堅く、気楽に書くつもりだったのに、手綱を絞りきれなくなるような勢いを作品が獲得してしまう、そんな作家の業みたいなものを妄想させるところが面白いのである。
もしかしたら、全て計算通り、当初の予定通り、なのかもしれないけどね。